大阪地方裁判所 昭和56年(行ウ)39号 判決 1984年5月30日
原告
朴順兆
右訴訟代理人
亀田得治
山田一夫
朝山喜成
中田明男
松井清志
伊多波重義
出島侑章
井上善雄
阪口徳雄
山川元庸
被告
法務大臣
住栄作
被告
大阪入国管理局主任審査官
藤田稔
被告
大阪入国管理局入国審査官
三原威男
右被告ら指定代理人
浦野正幸
外六名
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実《省略》
理由
一被告入国審査官の本案前の主張について判断する。
容疑者が令二四条各号の一に該当する旨の入国審査官の認定は、入国審査官が入国警備官によつて収容された容疑者の引渡を受けて(令四四条)、その者につき、令二四条各号の有無の審理を遂げてする判断であつて、これにより引き続き容疑者の身柄を収容する効果を発生させるとともに(右各号の一に該当せずとの認定をしたときは、入国審査官は、直ちにその者を放免しなければならない、令四七条一項)、容疑者が右認定に服し、或いは、特別審理官の判定(令四八条七項、八項)、法務大臣の裁決(令四九条三項、五項)によつて右認定が確定したときは、主任審査官にその者に退去強制令書を発付することを義務づけることになるのであるから(令四七条四項、四八条八項、四九条五項各参照)、容疑者の法的地位に、直接或いは間接に重大な影響を及ぼす行為であるというべきである。したがつて、右認定は、後に主任審査官が行う退去強制令書発付処分の単なる先行行為ではなく、これとは別個独立に抗告訴訟の対象となる行政処分に当るというべきである。しかも、右認定は、後になされる法務大臣の裁決(令四九条三項)との関係では、行訴法一〇条二項の「審査請求を棄却した裁決」に対する「処分」(原処分)に相当するというべきで、裁決の取消を求める訴えにおいては、後述する法務大臣の固有の権限に属する特在許可(令五〇条)に関する判断についての瑕疵を除き、入国審査官の認定に関する瑕疵(すなわち退去強制事由の不存在)を違法事由として主張することは、原処分主義(行政法一〇条二項)に反し許されないことになるので、退去強制事由の不存在を理由として抗告訴訟を提起しようとする者は、右認定処分の取消訴訟を提起すべきであると解するのが相当である。
したがつて、本件におして退去強制事由の不存在を理由として、被告入国審査官の本件認定処分の取消を求めた原告の訴えは、適法であつて、同被告の本案前の主張は理由がない。
二、三<省略>
四次に、原告は、本件において、被告大臣は、原告に対し特在許可を与えるべきであつたのに、これを与えずになした本件裁決は、違法であると主張しているところ、被告らは、令四九条の規定に基づく異議申出に対する法務大臣の裁決と、令五〇条の規定に基づく法務大臣の特在許可とは、それぞれ別個の処分であり、特在許可を与えなかつたことが法務大臣の裁決の瑕疵となるものではなく、本件においては、原告に令二四条一号の退去強制事由があるとの一事によつて当然に本件裁決、本件発付処分も適法になると主張して抗争するので、この点について判断する。
令四九条に基づく法務大臣の裁決は、容疑者について退去強制事由が存在するとの入国審査官の認定、特別審理官の判定に誤りがないかどうかを審理してなされる判断であり、これに対して令五〇条に基づく法務大臣の特在許可は、容疑者について退去強制事由が存在する場合に、更に諸般の事情を総合考慮してなされる処分であるから、両者を一応区別して考えることは可能である。しかし、令四九条、五〇条の規定及び令施行規則を仔細に検討すると、法務大臣は、裁決に当たり異議の申出が理由がないと認める場合でも、一定の事由に該当するときは、その者の在留を特別に許可することができるとされ(令五〇条一項)、退去強制が甚だしく不当であることを理由として異議を申し出る場合には、その資料を提出すべきものとされている(令施行規則三五条)ことからすれば、異議申出の理由には、退去強制事由の不存在のみではなく、令五〇条の特在許可を求めることも、当然予定されているというべく、かような異議申出を理由がないとする裁決は、入国審査官の認定を相当としてこれを維持する(この点では裁量の余地はない)のと同時に、特在許可を付与しないとの判断を示した処分にほかならないというべきである。したがつて、特在許可を付与しなかつたことが違法である場合には、右許可を与えずに異議申出を理由がないとした裁決も違法となり、更にこの場合には、右違法な裁決に基づきなされた主任審査官の退去強制令書発付処分も、また違法になるというべきである(結局、法務大臣の裁決の違法性は後行処分たる退去強制令書発付処分に承継されると解すべきである)。
してみると、この点に関する被告らの主張は、失当であつて採用できない。そして、前記一で判示したとおり、法務大臣の裁決のうち、入国審査官の認定の当否(すなわち退去強制事由の存否)に関する部分は、行訴法一〇条二項の「処分」(原処分)たる右認定に対する「裁決」に当るから、本件において、原告は、本件裁決の違法事由として、被告大臣が特在許可を与えなかつた点についての瑕疵のみを主張しうることになる。
五進んで、本件において原告に特在許可を与えなかつた被告大臣の本件裁決及び被告主任審査官の本件発付処分が、違法であるかどうかについて判断する。
1 法務大臣が特在許可を与えるか否かの判断は、国際情勢、外交政策等をも考慮の上、行政権の責任において決定されるべき恩恵的措置であつて、その裁量の範囲は極めて広いものではあるが、全く無制限なものではなく、その裁量が甚だしく人道に反するとか、著しく正義の観念にもとるといつたような例外的な場合には、裁量の逸脱ないしは濫用があつたとして違法となりうるものと解すべきである。
2 これを本件についてみるに、<証拠>によると次のとおり認められる。
(一) 原告は、大正一一年一月一七日韓国慶尚南道において韓国人の朴世槙(父)、申長順(母)との間に出生した韓国人(但し、昭和二七年四月二八日平和条約発効までは日本国籍を有していた)であり、昭和八年三月ころ(当時一一歳)、韓国の公立普通学校を卒業後、当時大阪市旭区に居住していた姉朴福徳を頼つて来日した。そして、原告は、終戦までの間、大阪市内で居住して生命保険代理業の手伝い等の仕事に従事し、終戦後は電球製造業を自営した後、昭和三〇年ころから、貸店舗業、家屋の不動産業を行うようになつた。昭和四一年一一月一五日、原告は韓国において韓国人である張賢淑(昭和一九年三月三〇日生)と婚姻し、張賢淑も原告と本邦において同居するため、昭和四三年二月二五日来日し、令四条一項一六号並びに特定の在留資格及びその在留期間を定める省令一項三号の在留資格、在留期間(一年)で上陸を許可され、以来本邦に在留することとなつた。原告と張賢淑との間には、長男朴正壽(昭和四四年八月一二日生)、二男朴正勲(昭和四六年八月四日生)がある。なお、原告は、昭和四〇年一二月一八日の日韓基本条約の発効、昭和四一年一月一七日の協定の発効に伴い、昭和四二年五月二九日、令所定の「一般永住」より有利な永住権であるところの協定一条に基づく永住許可を取得し、朴正壽も昭和四七年六月二六日付で、朴正勲も同年四月一五日付で協定永住許可を取得した。
(二) 原告は、このように本邦に居住しながら、昭和三八年ころから毎年、一年のうち二か月間から七か月間の間は韓国に渡航していたが(乙第一四号証の外国人登録原票参照)、昭和四四年韓国ソウル市郊外に土地を購入してゴルフ場(ソウルロイヤルカントリークラブ)の経営を行うようになつてからは、韓国において右経営に専従するため、別表(一)記載のとおり、昭和五三年ころまで毎年五回から一〇回韓国に渡航し、特に昭和五一年以降は、一年の大半を韓国で居住するようになつた(原告は韓国において住民登録もしている。乙第一号証、同第一四号証参照)。昭和四七年八月五日、原告は、張賢淑と協議離婚したが、その後、長男と二男を韓国に呼び寄せ、別表(二)(三)記載のとおり、昭和四九年ころからは右二人の子供も一年の大半を韓国で居住するようになり、特に昭和五二年二月ころ、朴正壽は、一旦入学した大阪市立五条小学校を韓国へ帰国のためという理由で退学し(乙第二九号証参照)、右二人の子供は韓国ソウル市内のリーラ小学校に通学するようになつた。原告及び右二人の子供は、本邦を出国する際、予め令二六条に基づく再入国許可を取得し、右許可の有効期限である一年間以内に本邦に再入国して再び再入国許可を取得して出国するという方法で、出入国を繰り返したので、前記のとおり取得した協定永住許可による権利を喪失することはなかつた。
(三) 原告は、韓国において、前記ゴルフ場の経営をめぐる抗争から司法官憲に逮捕され、昭和五三年五月二九日、業務上横領その他の罪でソウル地方検察庁から起訴され、昭和五三年八月二日保釈されたものの、韓国からの出国を禁示されていたが、原告は、同検察庁に対し「同年一〇月三一日で再入国許可の期限が切れ、協定永住の法的地位が喪失する」ことを理由に出国許可の嘆願書を提出してこれが容れられ、同年一〇月二九日から同年一一月一六日までの海外渡航が認められた(乙第二四号証)。そこで、原告は、同年一〇月二九日本邦に再入国し、同年一一月八日大阪入管において有効期限を昭和五四年一一月八日までとする再入国許可(乙第二二号証)を受けて昭和五三年一一月一六日本邦を出国して渡韓した(乙第一四、第一八号証)。
(四) 渡韓後、原告は、右の再入国許可の有効期限である。昭和五四年一一月八日までに再入国するために、韓国法務部に旅券の有効期間(同年四月まで)の延長と出国の許可を求めたが、前記のとおり原告の出国は、依然として禁止されたままで、韓国法務部は、原告の右要請を拒否した。また、原告は、在韓日本大使館にも、再入国期限の延長を申し出たが、これも拒否された。結局、このようにして、原告は、昭和五四年一一月八日までに本邦に再入国できなかつた。
(五) その後、原告は、本邦に不法入国することにし、前記三認定のとおり、昭和五五年四月一八日本邦に不法入国した。なお、原告の子供二人は、同年五月、韓国ソウル市内の原告の実弟宅に居住していたが、日本に再入国し、大阪市内の原告の友人宅で居住している。
以上のとおり認められ、原告本人尋問の結果中これに反する部分は採用できず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。
3 右2の認定事実によれば、原告は、戦前に日本人として大阪市内に居住するようになり、戦後日本国籍を喪失した後も、引き続き本邦に在留し、昭和四二年に協定永住許可を取得した者であるけれども、昭和四四年頃から、韓国において、ゴルフ場の経営を行うようになつてからは、次第にこれに専念するようになり、一年のうちの大半を韓国において居住するようになつたというべきで、特に昭和五一年以降は、原告の生活の本拠は、本邦にはなく韓国にあつたというべきである。原告は、別表(一)のとおり、本邦と韓国との間で出入国を繰り返しているが、右のように生活の本拠が韓国に移転した後は、これは、本邦に帰国して再入国許可を繰り返して取得し、これにより協定永住の許可の効力を失効させないことが主目的であつたともいえるほどである。
また、原告の二人の子供も、昭和四九年ころからは、一年のうちの大半を韓国で生活するようになり、特に昭和五二年以降は、韓国ソウル市内の小学校に通学していたのであるから、これまた生活の本拠は既に韓国にあるというべきである(右の子供二人は、原告が不法入国した後、本邦に入国し、引き続き大阪市内で居住しているが、何故韓国の前記小学校に通わず、大阪市内に引き続き居住するようになつたのか、原告は合理的な理由のある説明をしていない)。右の子供二人も、別表(二)(三)のとおり、本邦と韓国との間の出入国を繰り返しているが、これについても、生活の本拠が韓国へ移つた後のものについては、原告と同様に考えることができる。
次に、本件におけるように、協定永住許可を受けた者が、再入国許可を取得して出国した後、再入国許可の有効期限内に本邦に再入国しなかつた場合は、協定永住許可の効力は失効すると解すべきである。すなわち、協定三条、特別法六条によれば、協定永住許可を受けた者は、令二四条の規定に拘らず、特別法六条所定の場合のほか退去を強制されることはないが、これは、既に本邦に在留する外国人の退去強制事由である令二四条をさらに制限し、協定永住許可を受けた者の地位の安定を図つたにとどまるものであり、協定永住許可を受けた者の入国や在留については、特別法に規定がない限り令が適用されることになるのである(特別法七条)。したがつて、協定永住許可は、令四条所定の在留資格の一態様とみるべきであつて、再入国の許可を受けないで本邦から出国したり、或いは再入国の許可を受けて本邦から出国したが、その有効期限内に再入国しなかつたとき等の在留資格の一般的消滅事由によつてその効力が失われるものと解するのが相当である。したがつて、本件においても、原告は昭和五四年一一月八日の徒過によつて協定永住許可の効力を喪失したというべきである(この点に関する原告の主張は失当である)。
更に、原告が右期限を徒過した事情を考慮しても、結局、それは原告が韓国内において刑事訴追を受け、そのために韓国の司法官憲等から出国を禁止されたことに基因するのであつて、原告にとつて不可抗力であつたとはいえない事情であり、むしろ、原告の責に帰すべき事由であると考えられる。
なお、右の点につき、原告は、韓国における原告に対する刑事訴追は、無実の罪に基づくものであり、かつ、その公判手続が、原告の責に帰すべきでない理由により停止されたから、原告に対する出国停止処分は解除されるべきであつたし、また、原告の旅券の有効期限の延長を許すべきであつたのに、韓国法務部はこれを不当にしなかつたこと、原告は、再入国期限を徒過しないようにするため、在韓日本大使館に再入国許可期限の延長を申入れたが、拒否されたこと、等の事由をあげ、原告が再入国期限内に再入国できなかつたことについて、やむを得ない理由があると主張している。しかし、右韓国における刑事訴追が不当であつて、原告の責に帰すべきでない理由で公判手続が停止されたとの事実に副う<証拠>はたやすく信用できない。のみならず、原告主張の如く、仮に韓国司法官憲及び韓国法務部のとつた措置が不当であつたとしても、その不当性が客観的に明白でない限り(本件では、この点の立証はない)、我が国としては、韓国司法官憲等のとつた右措置を尊重すべきであるから、原告が再入国期限内に再入国しなかつたことにつき、いわゆるやむを得ない理由があつたものとは、到底認め難い。よつて、右の点に関する原告の主張は失当である。
4 このようにみてくると、被告大臣が原告に対して特在許可を与えず、異議の申出を理由なしとした本件裁決が甚だしく人道に反するとか、著しく正義の観念にもとるとは到底いえないというべきであり、本件に顕われた証拠を仔細に検討しても、他に、本件裁決が原告主張の如く裁量の逸脱又は濫用であることを認めるに足りる証拠はどこにもないというべきである。
<以下、省略>
(後藤勇 八木良一 小野木等)
別表(一)、(二)、(三)<省略>